ごあいさつ

ごあいさつ 北方勝也(きたかたかつや)牧師

皆さん。初めまして、単立ミルトス・ゴスペル・チャーチの牧師の北方と申します。

JTJ宣教神学校/牧師志願科を卒業後、ミルトス・ミニストリー・東京集会を経て、

2019年4月より御茶ノ水クリスチャンセンター404号室(東京プレヤーセンター αチャペル)から開拓教会をスタートしました。現在は、インターネット礼拝を中心として、毎月第一木曜日は、ミルトス・ミニストリー・川崎集会を行っています。

 

私は、小学生から野球を初め高校生まで続けていました。
現在も草野球を続けています。サーフィンを30代後半から初めました。
最近、ハマっていることは、トレーニングです。週3回はジムに通い汗を流しています。
継続することによって、体の変化をみることが出来てとても楽しいです。。

私が教会に来たキッカケ

K.K.さん(50代 男性)

私のキリスト教との1回目の出会いは、20歳頃でした。当時、住んでいた家の最寄駅を出た時に声をかけられました。ビデオやセミナーに参加をさせられました。しかし、ピントくることなく、行くことをやめました。

2回目の出会いは、会社の上司がクリスチャンでした。純福音書派の教会でした。韓国人の牧師でした。会社のミーティングにも牧師を連れてくるぐらい熱心な方でした。その教会へ少し通いましたが、遠かったので長くは続きませんでした。

三度目は、毎年仕事で会う方から誘いを受けました。その時は、試練の中にありました。心配して、教会へ誘って頂きました。そこで半年後に洗礼を受けました。神様は、三度導いてくれました。そして、三度目で信仰を持つことが出来ました。神様は気づくまで導いてくださるお方です。諦めず、相手が気づくまで伝え続けることが大切であることを思わされます。

N.K.さん(60代 女性)

神様との出会い、そして信仰の探求
私の神様との最初の出会いは、カトリック教会の幼稚園でした。幼いながらも、そこでイエス様が神の子であることを意識したのを覚えています。しかし、家で行われていた神仏を敬う習慣の中で、私は心に漠然とした不安を抱えたまま成長しました。世の中では、神様と呼ばれているものがいくつもあって、一体何を信じればよいのか、という答えの見つからない問いでした。
思春期を迎え、その不安はさらに深まります。自己肯定感が低く、常に他人と比較されることに疲れ果てていました。自分を愛することができず、「自分には生きる価値がないのではないか」と感じる日々でした。世の中に何の役にも立たない、能力も低い、だから、私はかけがえのない存在だ、などとは到底思えませんでした。心の中は常に孤独で、深い闇の中にいるようでした。
そんな中、私はある演奏会でバッハの「マタイ受難曲」を演奏する機会を得ました。学生時代からキリスト教にはある程度の知識があると思っていましたが、この曲を深く理解することができませんでした。特に、イエス様が人々に見殺しにされる場面は、私にとって大きな謎でした。なぜ、人々はイエス様を救おうとしなかったのか。その問いは、私の心を強く揺さぶり、答えを求めずにはいられなくなりました。
信仰への扉を開いた一冊の本
「マタイ受難曲」の謎を解き明かそうと、私はさまざまな本を読み始めました。曲の解説書や、遠藤周作の著作も手に取りましたが、心の中の空白を埋める答えは見つかりませんでした。私の探求は行き詰まり、また暗い気持ちに戻っていくようでした。
そんな時、一冊の本との出会いが、私の人生を大きく変えました。それは、三浦綾子さんの『道ありき』でした。その本を読み進めるうちに、私は作者がクリスチャンなったことで生きる希望を持ったことに興味を持ちました。
聖書が彼女の生き方を変えたのだ、聖書は生き方を変える力があるのだ、と確信したのです。
私はすぐに教会へ行き、聖書を読み始めました。そして、そこに記されている言葉の数々が、私の心を徐々に満たしていくのを感じました。特に、神様が私を「かけがえのない存在」として愛してくださっているというメッセージは、これまで自己肯定感が低く、自分を愛せなかった私にとって、大きな衝撃と喜びでした。イエス様が十字架にかかったのは、私の罪のためであり、そして私を救うためであったという真理が、静かに、しかし確信をもって心に響きました。そして私は、ようやく探し求めていた答えを見つけ、信仰を持つことができました。
神様の愛の中にある平安
クリスチャンになってから、私の人生は大きく変わりました。以前の不安や孤独は消え、代わりに神様の愛の中にある深い平安が私の心を包み込むようになりました。それは、何かに成功したから得られる喜びではなく、神様が私をありのままに受け入れ、愛してくださっているという確信から生まれる、揺るぎない喜びです。
人生には相変わらず困難もありますが、もはや一人ではありません。神様がいつも私と共にいてくださるという平安があるからです。私の存在は、神様にとってかけがえのないものなのだという真実を知り、これまでの人生で抱えていた全ての不安や自己否定感から解放されました。この平安と喜びを、私は心から感謝しています。
もし、この文章を読んで、同じように心の平安を探し求めている方がいらっしゃれば、ぜひ聖書を手に取ってみてください。きっと、あなた自身の「道」が開かれることでしょう。